2019/2/21 名古屋ウィメンズマラソン2019展望@
5000m五輪金メダル2個のデファーが名古屋で2度目のマラソンに挑戦
名古屋の先に見据えるのはトラック時代のライバルとの対決か?


 名古屋ウィメンズマラソン(3月10日)の主要出場選手が主催者から発表された。
 一番のニュースは5000mで五輪金メダル2個を獲得しているメセレト・デファー(エチオピア・35)が出場することだ。
 初マラソンは昨年10月のアムステルダムで2時間27分25秒の8位。優勝したTadelech Bekele(エチオピア・27)は2時間23分14秒で、そこまで速いタイムではなかった。2位から7位が2時間23分〜25分台。関係者によれば、マラソン練習全体は良い準備ができたが、直前の調整練習に失敗したという。
 ちなみにデファーの次の9位が今回の名古屋にも出場する下門美春(埼玉陸協・28)で、2時間34分11秒だった。

 デファーの戦績を見れば、“トラックの女王”という異名をとってもおかしくない。
 20歳で、04年アテネ五輪5000mに優勝。その年はダイヤモンドリーグ・ローマ大会では3位だったが、五輪と世界室内3000m、ワールド・アスレティック・ファイナル(現ダイヤモンドリーグ最終戦)3000mと、タイトルのかかった試合にはことごとく勝利した。
 05年には14分28秒98と当時のアフリカ新記録、06年には14分24秒53と当時の世界記録をマーク。07年にも14分16秒63と自身の世界記録を更新し、大阪世界陸上5000mでも金メダルを獲得した。
 だが、これだけの成績を残しても、当時のデファーは“トラックの女王”とは言われなかったように思う。それはティルネシュ・ディババ(エチオピア・33)がいたからだ。
 ディババはデファーより2歳年下だが、03年パリ世界陸上、05年ヘルシンキ世界陸上と5000mで連続金メダル。アテネ五輪は3位なのでデファーが勝っていたのだが、05年世界陸上は5000mと10000mの2冠を達成し、07年大阪世界陸上は10000mで2連覇した。

 そして08年シーズンの2人は、女子長距離の歴史に残る走りを続けた。
 6月6日にディババが14分11秒15とデファーの世界記録を破ると(現在も世界記録)、7月22日にデファーがその記録に挑み、14分12秒88とディババのタイムに迫った。当時の世界歴代2位で、現在も世界歴代3位に残るタイムである。
 直接対決は北京五輪。ディババは2冠に挑戦し、最初(8月15日)の10000mは29分54秒66のアフリカ記録(当時)でまずは1冠。
 1週間後(8月22日)の5000mにデファーは絞っていたが、その5000mでもディババが15分41秒40で優勝。デファーは15分44秒12と、2秒72差の2位だった。ディババに分があるラスト勝負に、どうしてデファーが持ち込ませたのか。そこは不可解だが(何か理由があったのだろう)、ディババが2冠を達成して北京五輪のヒロイン(の1人)になった。
 当時“トラックの女王”といえばディババのことを指した。デファーが“トラックの女王2人”という表現で、セットになっていたこともあったかもしれないが、世界的な評価はディババが明らかに上だった。

 ディババもデファーも09年以降は、08年レベルの記録を出すことができなくなった。
 ディババは09年、11年とレースを減らし、休養主体のシーズンとした。
 デファーは09〜13年まで、シーズンベストは14分20秒台後半が2シーズン、14分30秒台が3シーズンで、世界陸上も09年、11年と連続銅メダルだった。
 それでも2人は、12年ロンドン五輪でデファーが5000m、ディババが10000mで金メダルを獲得した。ディババは5000mでは銅メダルと、2冠を狙う力はなくなっていたようで、2人の女王による棲み分けができた印象だった。13年モスクワ世界陸上も2人はそれぞれの種目で金メダルを獲得した。
 ディババはともかく、デファーのロンドン五輪は彼女の意地だったのかもしれない。
 8年ぶりの五輪金メダルは他種目で前例がないわけではないが、20歳で世界の頂点に立ったデファーが10シーズンも力を維持できたのは、ディババの存在があったからだろう。

 14年以降の2人は人生も競技人生も、次の段階に入っていった。
 デファーは14年に、ディババは15年に出産し、レース数や種目の違いはあるが、2人とも徐々にマラソンに向かい始めた。
 先行したのはディババで、出産前の14年4月に初マラソンをロンドンで走り、2時間20分35秒の3位という成績でマラソンをスタートさせた。
 出産翌年のリオ五輪10000mで銀メダル、29分42秒56の自己新で走って世界をアッと言わせると、17年4月のロンドンでは2時間17分56秒のエチオピア記録で2位に入り、同年10月のシカゴには2時間18分31秒で優勝した。18年4月のロンドンこそ途中棄権したが、同年9月のベルリンは2時間18分55秒で3位。
 トラックのようには勝てないが、完全に世界のトップクラスに定着した。

 一方のデファーは、初マラソンが前述のように18年10月のアムステルダムで、2時間27分25秒の8位と失敗した。
 デファーはトラックの頃も、1500mや3000mなどにも多く出場していた。短い距離から5000mにアプローチした選手だったのだ。マラソン進出に苦しむ可能性はあった。
 だが、今回の名古屋に臨むにあたって、デファーは優勝に強い意欲を見せているという。世界陸上やオリンピックへの出場や2時間20分を切るタイムを目指すよりも、まずは名古屋に集中する姿勢のようだ。
 日本はデファーが大阪世界陸上で優勝した国であり、スポーツメーカーの招待で来日したこともあり、印象は良い。その日本で結果を出せば、マラソンでも次のステップが見えてくる。
 デファーの競技へのスタンスが、13年までと同じとは限らない。トラックの頃のように世界のトップを目指しているとは言い切れないが、勝利に対する気持ちの強さはマラソンでも持ち続けているという。
 名古屋で、あるいは今後のマラソンで2時間20分前後のタイムを出せば、宿敵ディババとのマラソンでの対決も、当然意識に入ってくるだろう。


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